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記事 |
タフネルメモ |
| 2003 |
沖縄本島にオイルボール漂着
1月、沖縄本島の西海岸に、大量のオイルボールが漂着しました。オイルボールとは、海上に流出した油と海水が混合し、いったんムース状になったものが、漂流するうちに固形化したものをいいます。22カ所で見つかり、回収されたオイルボールは、183.5キロにも上りました。
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| 2002 |
フランスのタンカー爆発で大量の原油流出
10月、フランス籍の大型タンカー「ランブール号」が、イエメン南部のムカラ沖の海上で爆発炎上しました。同タンカーは39万7000バレルの原油を積載しており、爆発後は大量の原油が流出し、大きな被害を及ぼしました。
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| 2001 |
ガラパゴス諸島沖でのタンカー石油流出事故
1月、ダーウィンの進化論で名高いガラパゴス諸島東端のサンクリストバル島沖で、小型タンカーが座礁。海上に流出した石油は、約55万リットル以上。汚染海域は3,000平方km強に拡大したとされます。アザラシやペリカンに油汚染が確認され、ガラパゴス諸島一帯に非常事態宣言が発令されました。
お台場の砂浜にオイルボール漂着
11月、東京・お台場の砂浜に白い固まり(オイルボール)が大量に漂着。正体は、下水管に排出された動植物油の成分。年月が経つうちに蓄積・変形し、下水管から剥がれ落ちたものでした。東京都下水道局では家庭や飲食店主へ『下水管に油を流さないで』と呼びかけ、「油・断・快適!」(油断大敵をもじったもの)と印刷されたトイレットペーパーを、都民の利用が多い3階までの都庁のトイレに設置して協力を訴えました。都は同時に合流式下水管の改善に向けた対策にも取り組んでいくと宣言。
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| 1997 |
ロシアのタンカー「ナホトカ号」重油大量流出
1月、島根県隠岐諸島沖で沈没したロシアのタンカー『ナホトカ号』の沈没時の重油は5,000キロリットルを超えました。2月1日現在で回収された重油は大量の水、砂、不織布など吸着用の布を含み30,000キロリットルに達しているといわれます。汚染された海岸は日本海に面した8府県。被害総額は流出1カ月後現在で、分かっているだけでも15億円に上ります。
東京湾で原油流出事故
7月には、東京湾でパナマ船籍のタンカー『ダイヤモンドグレース号』が座礁。推定1,550キロリットルの原油が流出しました。回収に使用した資機材は、オイルフェンス1,220m、 油処理剤1.78キロリットル、油吸着マット60,740枚、ドラム缶180本。流出油は一時、最大南北約15km、東西約18kmまで拡散し、一部が川崎市浮島、東扇島及び横浜市本牧埠頭に漂着。
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海上に流出した油は水質汚濁、環境破壊に直結するため、迅速に回収することが重要です。これらの事故にはタフネルオイルブロッターが大量に使われ、油回収作業に活躍しました。
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| 1992 |
地球サミットに端を発して
ブラジルのリオデジャネイロで、初の地球サミットが開催。このサミットに端を発して国際標準化機構(ISO)が設立されました。
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環境保全が注目され、タフネルオイルブロッターがあらゆる工場で備蓄されるようになりました。
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| 1991 |
湾岸戦争勃発 大量に重油が流出
1月17日、湾岸戦争が起こり、海岸に接していた大規模石油基地が爆破され、大量の重油が海に流れ出しました。
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タフネルオイルブロッターは日本政府による国際的な支援物資のひとつに選ばれて、数10トンが現地に送られ、めざましい活躍をしました。
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| 1974 |
瀬戸内海で重油流出事故
まず、71年に新潟港でタンカーが座礁し7,200キロリットルの重油が流出。74年には、岡山県倉敷市・水島コンビナートで重油タンクが破断し、7,500キロリットルの重油が流出しました。
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これらの事故で、海上の油を吸着できるタフネルオイルブロッターが大量に使われ、これをきっかけにタフネルの知名度は一挙に高まりました。
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| 1970 |
環境問題がクローズアップ
1970年(昭和45年)のいわゆる「公害国会」で環境に関する規制法が成立。72年には「公害対策基本法・自然環境保全法」が成立しました。
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環境問題が新聞やテレビでクローズアップされ、タフネルオイルブロッターが工場内や排水処理に使われるようになりました。
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